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小野喜酒店はここです。

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小野喜酒店




 この地「心像」とは本来「心遣」と書くのであったが、「心遣」と書いて「こころやり」と読むことは、変わった読み方であるが、もともと日本の言葉があるのに、無理に漢字を当て嵌めたものなので、たとえば「大和」を「やまと」と読んだり「七夕」を「たなばた」と読んだりするように、いろいろある。
 さて、心像には「正福寺」というお寺があって「山号」は「心遣山」となっていた。そのうち村では「鑓」という字を用いた「鑓見内」などの地名を知るようになり、誰始めるともなく「心鑓」と金偏の鑓を書く人が多くなってきた。そのためかお寺の方でも、いつのまにか「心鑓山」と書くようになってきた。
 さてこうなってみるとね「鑓」の字は国字で「やり」と読むだけでしかも「槍」の字と同義である。村の名としては兎にも角にも、お寺の山号として「心鑓山」は気に掛かるようになった。
 この時に思い当たったのは「想像」である。今では「そうぞう」と音読みしても意味が通ずるが、昔はこのように書いて「おもいやり」と読だそうである。そこで「想」は「おもい」「像」は「やり」として「心像」と書くことになり、お寺の山号も「心像山」となったようである。
 この事について改まった古文書もなく、実証は出来ないが、私の父勘左衛門が存命中、正福寺の山田礼道という方丈と懇意にしていただき、そのころお聞きしたことで、昔の古い過去帳箱の蓋に「心遣山正福寺」と墨書きしたのがある。とお聞きしたと私は父から聞いている。
 真澄遊覧記には、「心像」と改めたのは、「享保の初め頃からであろうか」として「いかなるよしありていへる名にあらん」と述べ「こころやりは心慰也」そして更に「そのいにしへ任国の時など、このあたり花紅葉もいとよければ、皇都人も至り給いし道あれば「こころやり」とのたまへし古言のひと語や残りたらん、聞き伝え語り伝へらんものか、なほこころゆかしき村の名にありける」とある。